野球歴約30年。野球ショップに勤めています。バント店長です。
早速ですが、皆さんは『ID野球』を確立させた野村克也氏のことを、どれくらいご存知ですか?
プロ野球史上に残る名将・野村克也氏は2020年2月にこの世を去りました。
この記事のテーマである『ID野球』は野村克也氏がヤクルトスワローズ監督時にスローガンに掲げたことで、広まったと言われています。
そこで、この記事では、
この3点について徹底解説していきたいとおもいます!
野村克也の経歴
プロ野球・現役時代
テスト生として入団。一時、戦力外通告を受けるが、捕手不足により残留。
3年目にはレギュラーに定着し、レギュラー1年目にはベストナインに選出。
1965年には戦後初の三冠王に輝く。
1957年から1977年まで、歴代最多記録となる21年連続でオールスター選出。
1980年、監督推薦によりオールスター出場。
史上唯一の1950年代、60年代、70年代、80年代の4つの年代での出場。
- 史上2人目・パ・リーグ初の三冠王達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)
- 選手出場試合数 歴代2位
- 通算本塁打数 歴代2位(捕手としては世界最多)
- 通算安打数、打点数 歴代2位
- 通算打席数、打数 1位
- 通算犠飛数 歴代1位
- 通算併殺打 1位
- 最多記録となるベストナインを19回受賞
- パリーグ最多記録となる本塁打王を9回獲得
- パリーグ最多記録となる最優秀選手を5回受賞

プロ野球・監督時代
1969年、34歳の若さで選手権監督に就任。
「4番打者」「捕手」「監督」の3つの重責をひとりで担う。
1973年にはリーグ優勝。
1990年『ID野球』を掲げチームの改革を図る。
1992、93、95、97年にリーグ優勝。1993、95、97年にはさらに、日本シリーズ優勝。
- 監督出場試合数 歴代3位
- 「平成」(1989年1月8日 – 2019年4月30日)期間の最多勝利記録
- 世界のプロ野球で唯一の選手、監督の両方で3000試合以上出場

ご覧の通り、現役時代、監督時代ともに華々しい経歴をお持ちであることがわかると思います。
今回のテーマである『ID野球』は、低迷期であったヤクルトスワローズの監督に就任した際に、掲げたスローガンです。優勝争いからは無縁であったヤクルトスワローズを、常勝チームへと変えることとなりました。
野村克也氏の歴史を振り返ったところで、それでは『ID野球』について詳しく解説していきます!
ここからID野球を詳しく解説していきます!
用語解説
- ID野球とは?
- 勘や経験でプレーするのではなく、データを駆使して科学的に行われる野球のこと。
バント店長
「考える野球を教えてくれた」ドン・ブレイザー
野村克也氏の代名詞とも言える『ID野球』ですが、この『ID野球』の下地としてドン・ブレイザーの教えがあったからだと言われています。

ブレイザー氏は、自身の経験からメジャー流の野球理論や知識を惜しげもなく伝授し、「シンキング・ベースボール」の奥深さを教えたと言われています。
野村克也氏は、自身の著書にドン・ブレイザー氏を「考える野球を教えてくれた恩人」と記すほど、影響を与えていた人物だったようです。
当時日本の根性論から180度異なる「シンキング・ベースボール」を根付かせたのは、このブレイザーだったようです。
野村克也氏は「自分のID野球の源流はブレイザーにある」と常々語っています。
ブレイザーなくして、『ID野球』は生まれなかったのですね。
人間性あっての『ID野球』
就任1年目の1990年春。アメリカでのキャンプでは『ID野球』を伝授するためのミーティングが毎晩2時間近く行われていたそうです。
最初は、野球の話ではなく、「人はどうあるべきか」といった、人生論。
人としての成長が野球の上達につながり、人間性がプレーに出るという考えが野村克也氏の根底にあったそうです。
データを使う『ID野球』ですが、その体現には野球の知識だけではなく、人間性を磨くことも大切にしていたのです。
「ID野球の申し子」古田敦也
ヤクルトを低迷期から黄金期へと導いた野村克也氏ですが、そのもとで鍛えれれた選手が古田敦也氏です。

古田敦也氏は「ID野球の申し子」とも言われ、打者の裏をかく配球、綿密な計算を基にしたプレーで野村野球を具現化していたと言われています。
古田敦也氏は、ヤクルトスワローズ一筋で現役を過ごし、野村克也氏のもと名捕手として一時代を築きました。
シーズン盗塁阻止率.644と、通算盗塁阻止率.462は日本記録。
捕手としての生涯打率の日本記録保持者でもあり、「ミスタースワローズ」とも言われています。
もともとのポテンシャルもそうですが、古田敦也氏がここまで成功したのも、野村克也氏の『ID野球』の土台があったからかもしれませんね。
野村克也氏の代名詞とも言われる『ID野球』について解説してみました。
今では当たり前になっているデータ野球ですが、当時は革命的な発想でした。
今の日本野球界の発展も野村克也氏の、影響がかなり大きいように感じます。
みなさんも「頭を使った野球で勝てる!」を体現してみてください!!