【野球】背番号の意味は?人気の背番号・永久欠番を紹介!

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プロ野球において背番号は、選手を識別するためのものではありません。

選手のポジションや役割はもちろんこと、歴史や伝統において象徴となることもあります。

ファンにとって選手を応援する上でもも欠かせない背番号。

この記事では、プロ野球における背番号の始まりから、具体的な背番号の意味、さらには高校野球での背番号の扱いまでを詳しく解説していきます!

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まずは背番号の歴史から見ていきましょう!

野球における背番号の誕生

背番号が野球で初めて使われたのは、1929年のアメリカです。

最初に導入したチームは、クリーブランド・インディアンスで、1929年4月16日に初めて背番号をつけて試合を行いました。

ニューヨーク・ヤンキースはその後、同じ年の4月22日に背番号を採用しました。

それまでは、選手を見分けるのが難しかったので、背番号を使うことで、誰がどの選手かすぐにわかるようにしたのです。

背番号が導入された理由とその目的

背番号が使われるようになった理由は、観客が選手を見分けやすくするためです。

最初のころは、ピッチャーが「1番」、キャッチャーが「2番」といったように、ポジションごとに番号が決まっていました。

しかし、時がたつにつれて、選手たちは自分の好きな番号を選べるようになりました。

日本プロ野球での背番号の歴史

日本のプロ野球でも、背番号は大事な役割を持っています。

日本で最初に背番号が使われたのは1936年のことです。

それ以来、背番号は選手を見分けるだけでなく、その選手の実力や役割を示すものとなりました。

たとえば、ピッチャーのエースがつける「18番」や、リーダーを示す「1番」などが有名です。

日本プロ野球での象徴的な背番号

ここからは日本プロ野球における、象徴的な背番号を見ていきましょう!

背番号「1番」:リーダーの証

「1番」は、日本のプロ野球において特別な意味を持つ背番号です。

多くの球団で、キャプテンやチームの顔となる選手がつけることが多く、その選手がチームを引っ張る役割を担うことが期待されます。

たとえば、巨人軍の王貞治(おうさだはる)選手は「1番」を背負い、その偉業を通じてこの番号は日本プロ野球におけるリーダーの象徴となりました。

また、日本ハムファイターズでは、新庄剛志(しんじょうつよし)選手が「1番」をつけ、華麗な守備と派手なプレースタイルでファンを魅了しました。

新庄選手はその明るい性格と強い存在感で、チームの中心選手として活躍しました。

「1番」は、まさにチームの象徴であり、リーダーシップと実力を兼ね備えた選手が背負う番号として、多くのファンに親しまれています。

背番号選手(チーム)
1王 貞治(巨人)
新庄 剛志(日ハム)
前田 智徳(広島)
山田 哲人(ヤクルト)
内川 聖一(ソフトバンク)

背番号「18番」:エースナンバー

野球における「エースナンバー」と聞くと、多くのファンが思い浮かべるのは「18」の数字でしょう。

特に日本プロ野球において、この番号は長年にわたってエースピッチャーに与えられる伝統的な背番号として知られています。

もっとも得意な芸や技のことを「十八番(じゅうはちばん、おはこ)」と言います。

そこらが野球界にも派生し、チームで1番優れたピッチャーに「十八番」、すなわち「18」を与えるようになっていったという通説があります。

メジャー挑戦の日本人選手の多くもこの「18」番を背負って戦いました。

しかし、エースナンバーは「18」だけに限られるわけではありません。

チームやリーグによっては「11」や「21」など、他の番号がエースに割り当てられることもあります。

重要なのは、その番号がチーム内でどのような意味を持ち、選手にどのような影響を与えるかです。

エースナンバーを背負う選手は、単に優れた技術を持つだけでなく、チームの精神的な支柱となり、若手選手の模範ともなる必要があります。

背番号選手(チーム)
11ダルビッシュ 有(日ハム)
大谷 翔平(日ハム)
18桑田 真澄(巨人)
松坂 大輔(西武)
田中 将大(楽天)
山本 由伸(オリックス)
21工藤 公康(ソフトバンク)
和田 毅(ソフトバンク)
今永 昇太(DeNA)

バント店長

日本では習慣的に主力投手は10番台を着けるケースが多いよ!

背番号「55番」:ホームランバッターの象徴

背番号「55番」は、日本プロ野球においてパワフルなホームランバッターがつけることが多い番号です。

この番号を象徴する選手として、まず挙げられるのが松井秀喜(まついひでき)選手です。

松井選手は、読売ジャイアンツで「55番」を背負い、「ゴジラ」の愛称で親しまれました。

彼はその驚異的なパワーで、数々のホームランを放ち、日本のプロ野球界を代表する打者として名を馳せました。

その後、メジャーリーグに挑戦し、ニューヨーク・ヤンキースでも「55番」を背負ってワールドシリーズMVPを獲得するなど、世界的にその名を轟かせました。

もう一人、「55番」を象徴する選手として挙げられるのが村上宗隆(むらかみそうたか)選手です。

村上選手は、東京ヤクルトスワローズで「55番」を背負い、その圧倒的なパワーと打撃センスで、数々のホームランを放ち、日本のプロ野球界に新たな風を吹き込んでいます。

特に、2022年にはシーズン56本塁打を記録し、日本人選手としての最多本塁打記録を更新するなど、驚異的な成績を残しました。

その若さと実力で、今後のさらなる活躍が大いに期待されています。

このように、背番号「55番」は、日本プロ野球においてホームランバッターを象徴する番号として知られています。

他にも、「3番」や「5番」も、強打者がつけることが多い背番号です。

背番号選手(チーム)
3長嶋 茂雄(巨人)
松中 信彦(ダイエー)
ラミレス(ヤクルト)
立浪 和義(中日)
5清原 和博(巨人)
中村 紀洋(近鉄)
新庄 剛志(阪神)
55松井 秀喜(巨人)
村上 宗隆(ヤクルト)

監督、コーチ

通常、監督やコーチに割り当てられる番号は、選手とは異なる範囲で設定されています。

例えば、日本のプロ野球では、監督には「70」や「80」といった番号が与えられることが多いです。

一方で、コーチには「70番台」、「80番台」、「90番台」などが割り当てられます。

これにより、選手たちだけでなくファンにとっても識別しやすくなっています。

ただ中には、功績のあった選手が指導者になる際、現役時代の背番号を引き継ぐケースもあります。

育成選手

プロ野球における育成選手の背番号は、一般的に「100番台」もしくは「3桁」の背番号が割り当てられます。

そして、育成選手が支配下登録された場合には、これまでの番号からより伝統的な背番号が与えられます。

永久欠番(えいきゅうけつばん)

次は永久欠番について見ていきましょう!

永久欠番とは?

永久欠番とは?
特定の選手や人物がすばらしい活躍をしたことをたたえて、その背番号をほかの選手が使わないようにする背番号のこと。

これは、選手がチームやスポーツにどれだけ大きな影響を与えたかをずっと覚えておいて、未来の人たちに伝えるための特別な方法です。

永久欠番の概念は、野球界では主にアメリカのメジャーリーグベースボール(MLB)で始まり、その後、日本のプロ野球(NPB)にも導入されました。

MLBにおける永久欠番

メジャーリーグ(MLB)での永久欠番の最初の例は、1939年にニューヨーク・ヤンキースが、ルー・ゲーリッグの背番号「4番」を永久欠番としたことです。

ゲーリッグは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、通称「ルー・ゲーリッグ病」で引退を余儀なくされ、彼の功績を讃えるためにこの措置が取られました。

これが、スポーツ界における永久欠番の始まりとなり、以後、MLBの各チームが偉大な選手や監督の背番号を永久欠番とする慣例が生まれました。

MLBでは、選手の個人記録やチームへの貢献度、さらにはその選手が与えた文化的な影響などが考慮されて永久欠番が決定されます。

最も有名な例として、ジャッキー・ロビンソンの背番号「42番」が挙げられます。

彼は、1947年にMLBで初の黒人選手として登場し、人種の壁を打ち破りました。

この背番号「42番」は、1997年にMLB全体で永久欠番となりましたが、唯一、ニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラが永久欠番に指定される前から使用していたための特例措置により、例外としてつけていたことがありました。

NPBにおける永久欠番

日本プロ野球(NPB)においても、永久欠番の概念はMLBにならって導入されました。

NPBでの永久欠番は、MLBと同様に主に選手の個人記録、チームへの貢献、そしてファンからの絶大な支持などを考慮し決定されます。

NPBでは、戦前からの長い歴史を持つチームが多く、その中で特に象徴的な存在であった選手たちの背番号が永久欠番とされています。

例えば、読売ジャイアンツの王貞治選手の「1番」や長嶋茂雄選手の「3番」がその代表例です。

これらの背番号は、巨人軍において特別な意味を持ち、今後も他の選手が使用することありません。

永久欠番一覧

ここからは日本プロ野球における、永久欠番を球団ごとに見てみましょう!

読売ジャイアンツ

背番号氏名登録日
1王貞治1989年3月16日
3長嶋茂雄1974年11月21日
4黒沢俊夫1947年7月9日
14沢村栄治1947年7月9日
16川上哲治1965年1月18日
34金田正一1970年4月2日

阪神タイガース

背番号氏名登録日
10藤村 富美男1958年11月30日
11村山 実1972年11月2日
23吉田 義男1987年10月13日

中日ドラゴンズ

背番号氏名登録日
10服部 受弘1960年3月20日
15西沢 道夫1959年3月15日

広島東洋カープ

背番号氏名登録日
3衣笠 祥雄1987年9月21日
8山本 浩二1986年10月27日
15黒田 博樹2016年11月1日

埼玉西武ライオンズ

背番号氏名登録日
24稲尾 和久2012年7月4日

北海道日本ハムファイターズ

背番号氏名登録日
100大社 義規(オーナー)2009年2月1日

東北楽天ゴールデンイーグルス

背番号氏名登録日
10ファンナンバー2004年12月17日
77星野 仙一2018年3月26日

高校野球での背番号

高校野球における背番号は、プロ野球とはまた違う見方ができます。

日本の高校野球では、背番号は選手のポジションやチーム内での序列を示す重要な指標です。

例えば、エースピッチャーには一般的に「1」の番号が与えられ、レギュラー選手は一桁の番号を背負うことが多くなっています。

しかし、全ての学校やチームに当てはまるわけではなく、指導者の考え方やチームの方針によって、背番号の割り当て方は変わります。

ポジション背番号
ピッチャー
キャッチャー
ファースト
セカンド
サード
ショート
レフト
センター
ライト

まとめ

野球での背番号は、単に選手を区別するためのものではありません。

それぞれの番号には、その選手のポジション、役割、チーム内での地位、そして個人の歴史やチームの伝統が込められています。

それぞれの番号が持つ物語や意味を知ることは、野球というスポーツをより深く理解し、楽しむためのカギとなります!

背番号に関する知識を深め、さらに野球を楽しんでいきましょう!

最後まで読んでいただきありがとうございました!